春ですね、春なんですよね。


 若干放置ブログ化しているこのブログ、中の人はそれとなく生きております。相変わらず引き篭もって不健康な毎日を送っております。とはいえ、犬の散歩やどうしてもお外に出ないといけない理由ができ、お近くの公園なんかに足を運んでみた際に、ほぼ満開の桜をスマホで撮ってみたりしたのがこのお写真(少々お化粧してある)です。

 春は自分の生まれた月で、そこそこ関係のある季節なのですが、正直あまり好きではないです。こんな生活が長く続いたせいもあり、自分と周りがあまりにかけ離れすぎている、ということを特に感じさせられます。花粉症もあるしね(笑)。

 好きなものを好きで居続けるための努力が必要になってきました。いや、これは今に始まったことではないのですが、好きな音楽、好きなゲーム、好きな映画、何でも。昔はもっと何も考えずに好きでいられたのになぁと。そもそも、「好き=情熱」なので、情熱にはパワーが要るのです。最近は、古くなったスマホの充電池のように、すぐバッテリー切れのアラームが鳴り出す体になってしまいました。それはつまり、新しく出会うものの中にに好きなものを見出す力にも関係するので、結局昔好きだったものばかりを反芻して、安心と安定の悦に浸るという...老けたなw。以下、長文になりますゆえ。




 人は新しいことの中から自分の好きな部分を探すときに、結局は自分の中の古い部分と少なくとも同じ色合いで共感できるものに目が行ってしまいます。ある程度の年齢に達すると、これが顕著に現れるようになって、最近のあの若い歌手のあの曲はうちらが若い頃のあの曲に似ているとか、最新のあのゲームタイトルにはうちらが好きだったあのゲームの精神を引き継いでいるとか、酒を飲みに行って若い連中にそういうことを言いたくなります(笑)。 あー鬱陶しいおっさん。いやいや、君らもあと十数年でこうなるのだよ。いや、ならないかもしれないが。

 ともかく、10代とか20代前半までって好きなことや嫌いなことに理由なんて必要なかったわけですし、仮に理由があったとしてもそんなに大したものではなくて、むしろお前ら昨日と言ってること違うくね?なんかそれ矛盾してね?とかいうのもざらで、ある種それは若さの輝き(謎)の一つだったわけです。少なくとも僕の場合はそう思い込んでいます(笑)。
 今の自分とかだと、「なぜそれが好き(嫌い)なの?どのような理由で?」って若い人に訊いちゃうよねぇ。そして、その理由が具体的且つ明確であればあるほど安心して納得できるのです。ウザがられるよねぇw。君らもあと十数年でこうなるのだよ。いや、ならないかもしれないが(2回目)。

  なんだかダメなおっさんの流れになってきました。とはいえ、理由というのはモノの見方なんですよね。だから、(酔った)おっさんたちがする、あーだこーだ無駄に理由がつく好き嫌いの話が僕は好きです。いろんな人のモノの見方を知ることができるから。でも、良い悪いで決めつける(酔った)おっさんの話ほどくだらないものはないと思っていますので自分も含めて注意したいですw。

  好きなものを好きで居続けるための努力には、理由が必要だけど、理由ばかりに囚われていると、なんだか楽しくなくなります。てか、楽しいから好きなわけで、それがなくなると本末転倒ですね。理由の中から動機が生まれることがもしかしたら健全なのかもしれません。「これが(この要素が)ないと好きになれない」ではなくて「これが(この要素が)あるから好きだ」ってなれば健全...なんですが、根暗でマイナス思考の僕はこれが大変です。

 あれ?なんか自己啓発本の内容みたいになってきた...やばい。

 先日、と言っても1ヶ月以上前、友人と話していて、その頃はちょっと心が疲れていたのもあって、「嫌いなことでも出来る限り多くを否定せず受け入れる心を持とう」とか言ってしまったことがあり、でもよく考えてみたらそもそも嫌いだから心が受け入れないわけで、なぜその時にそんな結論に至ったかということすらももう記憶に無いですが、結局のところその1週間後には「嫌いなものは嫌いだし、受け入れられないことは無理」という、なんかもうそれってただの気まぐれだろうと思える、心境の変化(←違いますよ)がありました。
 受け入れられないことを否定するのは良くないと思っています。誰だって、どう頑張っても受け入れられないことがあります。 嫌いでもいいし、好きになる必要はないが、否定する必要もない。だからエ○ザイルとかA○B48とか、僕は嫌いですが、否定はしません。特に後者なんてあんなの音楽でも何でもないしエンターテイメントですらないと、心の底から素直に純粋にありのままにそう思って書いていますが、

安心してください!否定はしませんよ。

 今、枯渇しつつある情熱に少しだけ不安になります。あー好きってーなんだっけー♪って本気で思うことがあるのですよね。それでも、ようつべで歌のうまい人の音楽を聴いたり、氏家さんの演奏する新しいシンセのデモを見たりすると心が動く瞬間があるので、出力は少しお休みしているが、入力に対してちゃんと反応できる心が僕にもまだあったのかと思います。

 本当に長文になってしまった(汗)。
 幾つかに分けて投稿すればよかった。まあいいや。

 春の強い風が僕の部屋の窓をガタガタ鳴らすのを聞きながら、カフェインの効いたノーミソで文字を並べてしまいました。あと2日で誕生日なんですが、これでいいのか?と言う思いと、これでよくね?と言う似て非なる思いに苛まれながら、一つ歳を重ねることでしょう。いや、わからないけどね。


おしまい。

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